中国の書店で出会う東野圭吾
今月28日、東野圭吾さんの訃報に接し、私は大好きな作家の新しい作品をもう読むことができないという寂しさを覚えました。
中国のSNSには彼の作品や生涯を紹介する投稿が次々と流れてきました。
私はその画面を見ながら、これまで中国へ出張するたびに、小さな書店でも東野圭吾さんの本が必ず並んでいたことを思い出しました。
中国では「東野圭吾が人生で初めて最後まで読んだ小説だった」という若い読者の声が非常に多く見られます。読みやすく、続きが気になるため、それまで読書習慣のなかった人を読書の世界へ導いた存在と評価されています。彼の作品には日本の学校、会社、家族、近所付き合いなど、ごく普通の日常が自然に描かれています。そのため、「日本人の生活はこういうものなのか」と興味を持ち、日本文化への理解を深めるきっかけになったと考えられています。
中国の若い世代は急速な社会の変化の中で競争や進学、就職など、多くのプレッシャーの中で生きています。東野さんの作品には、そうした現実の中で悩みながら生きる、ごく普通の人々が描かれています。だから、中国の読者は「日本人の物語」を読んでいるというより、「自分たちの物語」として読んでいたのではないでしょうか。
東野圭吾さんの数多くの作品の中で、私が最も好きなのは『ナミヤ雑貨店の奇蹟』です。この作品が伝えているのは、「人は、人とのつながりによって生きていること」、そして「人生は一人で歩いているように見えても、実は多くの人の善意によって支えられている」ということではないでしょうか。作中で、悩み相談の手紙に返事を書き続ける浪矢雄治の姿は、とても印象に残っています。相談者一人ひとりに真剣に向き合うその姿勢は、今でも私の心に深く残っています。
政治や経済のニュースでは、「日本」と「中国」は対立しているように見えることがあります。しかし、小説の中では、子どもを愛する親、将来に悩む若者、大切な人を失った悲しみ、そして誰かを許したいという気持ち。 そうした感情は、日本人も中国人もほとんど変わりません。
東野圭吾さんは、中国を舞台にした小説をほとんど書きませんでした。それでも、中国でこれほど愛されたのは、人間そのものを描き続けたからでしょう。優れた物語は、国境や言葉を越えて、人の心に届く。そのことを、私は中国の書店で何度も教えられました。
これからも中国へ出張するたびに、私はきっと書店へ立ち寄るでしょう。そして、東野圭吾さんの本が並ぶ棚を見るたびに、文学には人の心を結ぶ力があることを思い出すことでしょう。

